「レベッカ」の版間の差分
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1985年1月、音楽的方向性の違いから木暮とドラムスの小沼達也が脱退。バンド発起人かつ作曲者でもあった木暮の離脱により存続の危機を迎えるが、ギターの古賀森男とドラムの小田原豊が加入し、土橋を新リーダーとして再出発した。土橋がサウンドプロデュースを担い、それまでの[[ロック]]路線からシンセポップ路線にシフト。'''シンディ・ローパー'''や'''マドンナ'''など同時代の海外女性シンガーのスタイルを取り入れつつ、'''''NOKKOの溌溂とした歌声やダンス'''''、ティーンエイジャーの少女心理を織り込んだ歌詞を前面に押し出した。 | 1985年1月、音楽的方向性の違いから木暮とドラムスの小沼達也が脱退。バンド発起人かつ作曲者でもあった木暮の離脱により存続の危機を迎えるが、ギターの古賀森男とドラムの小田原豊が加入し、土橋を新リーダーとして再出発した。土橋がサウンドプロデュースを担い、それまでの[[ロック]]路線からシンセポップ路線にシフト。'''シンディ・ローパー'''や'''マドンナ'''など同時代の海外女性シンガーのスタイルを取り入れつつ、'''''NOKKOの溌溂とした歌声やダンス'''''、ティーンエイジャーの少女心理を織り込んだ歌詞を前面に押し出した。 | ||
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なお、脱退した2人は'''田所豊'''('''DIAMOND☆YUKAI''')、'''小川清史''' | なお、脱退した2人は'''田所豊'''('''DIAMOND☆YUKAI''')、'''小川清史'''と新バンドを結成したが、木暮が思い入れのある「レベッカ」の名を使い続けようとしたため、一時的に2組の「レベッカ」というバンドが存在した。その後、「レベッカ♂」を経て、木暮の「'''どうしても“R”から始まるバンド名にしたかった'''」という理由で「'''RED WARRIORS'''」に改名している。 | ||
=== ブレイクから解散へ === | === ブレイクから解散へ === | ||
1985年4月、新体制での3枚目のシングル「[[レベッカ|ラブ イズ Cash]]」が初めてチャートインし、3枚目のアルバム『WILD & HONEY』は[[オリコンチャート|オリコン]]6位を記録。6月には日本青年館でワンマンコンサートを行う。10月放送開始のテレビドラマ『ハーフポテトな俺たち』でレベッカの楽曲が使用され、OP・EDテーマを収録したシングル「[[レベッカ|フレンズ/ガールズ ブラボー!]]」がオリコン3位(30万枚)の大ヒット。1985年11月発売の4枚目のオリジナルアルバム『'''[[レベッカ|REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜]]'''』がオリコン1位を獲得し、当時の国内ロックアルバムとしては異例のミリオンセラー(累計130万枚超え)を記録する。<br/><br/> | 1985年4月、新体制での3枚目のシングル「[[レベッカ|ラブ イズ Cash]]」が初めてチャートインし、3枚目のアルバム『WILD & HONEY』は[[オリコンチャート|オリコン]]6位を記録。6月には日本青年館でワンマンコンサートを行う。10月放送開始のテレビドラマ『ハーフポテトな俺たち』でレベッカの楽曲が使用され、OP・EDテーマを収録したシングル「[[レベッカ|フレンズ/ガールズ ブラボー!]]」がオリコン3位(30万枚)の大ヒット。1985年11月発売の4枚目のオリジナルアルバム『'''[[レベッカ|REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜]]'''』がオリコン1位を獲得し、当時の国内ロックアルバムとしては異例のミリオンセラー(累計130万枚超え)を記録する。<br/><br/> | ||
その後も「RASPBERRY DREAM」「MONOTONE BOY」「[[レベッカ|MOON]]」などヒットシングルを連発し、『REBECCA IV』以降のアルバムはすべて80万枚以上のセールスを達成。リミックスアルバムでもチャート1位を獲得した。1988年には6枚目のオリジナルアルバム『[[レベッカ|Poison]] | その後も「RASPBERRY DREAM」「MONOTONE BOY」「[[レベッカ|MOON]]」などヒットシングルを連発し、『REBECCA IV』以降のアルバムはすべて80万枚以上のセールスを達成。リミックスアルバムでもチャート1位を獲得した。1988年には6枚目のオリジナルアルバム『[[レベッカ|Poison]]』で、第2回日本ゴールドディスク大賞・アーティスト・オブ・ザ・イヤー(邦楽部門)を受賞した。ライブも日本武道館6days(1987年1-2月)、横須賀港での5万人野外ライブ『REBECCA FROM THE FAR EAST』(1987年8月)、コンサートツアー『BLOND SAURUS』の東京ドーム公演(1989年7月)など大規模イベントを成功させた。しかし、超多忙なスケジュールが創作に影響するようになり、一度区切りをつけるべきという決断に至り、1990年1月に行われたコンサートツアー『BLOND SAURUSの逆襲』の日本武道館公演を最後に活動を休止。翌年の1991年2月14日に解散した。<br/><br/> | ||
レベッカの解散後、高橋、小田原、サポートギターの是永巧一の3人と宮原学、彼のプロデューサー&バックバンドの柴田俊文の5人で結成したバンド「BABY'S BREATH」は、当初「宮原学&レベッカ・ユニット」と名乗っていた。 | レベッカの解散後、高橋、小田原、サポートギターの是永巧一の3人と宮原学、彼のプロデューサー&バックバンドの柴田俊文の5人で結成したバンド「BABY'S BREATH」は、当初「宮原学&レベッカ・ユニット」と名乗っていた。 | ||
=== 再結成 === | === 再結成 === | ||
その後、メンバーはソロ活動に入るが、1995年5月、阪神・淡路大震災の復興支援を目的として2日間限定の再結成ライブを横浜アリーナで開催した(当初は、5月26日の「ONE NIGHT」だけ行われる予定だったが、好評のため28日に「ONE MORE NIGHT」として追加公演が行われた)。さらに、1999年にはドラマ主題歌として「フレンズ 〜remixed edition〜」をリリースし、2000年6月には12年ぶりのオリジナルシングル「神様と仲なおり/HELLO TEENAGE」をリリースした。この際はライブを行わず、活動を終了するコメントも無く自然消滅のような形で終息した。<br/><br/> | その後、メンバーはソロ活動に入るが、1995年5月、阪神・淡路大震災の復興支援を目的として2日間限定の再結成ライブを横浜アリーナで開催した(当初は、5月26日の「ONE NIGHT」だけ行われる予定だったが、好評のため28日に「ONE MORE NIGHT」として追加公演が行われた)。さらに、1999年にはドラマ主題歌として「フレンズ 〜remixed edition〜」をリリースし、2000年6月には12年ぶりのオリジナルシングル「神様と仲なおり/HELLO TEENAGE」をリリースした。この際はライブを行わず、活動を終了するコメントも無く自然消滅のような形で終息した。<br/><br/> | ||
2015年4月21日、再結成ライブ「Yesterday, Today, Maybe | 2015年4月21日、再結成ライブ「Yesterday, Today, Maybe Tomorrow」を横浜アリーナで8月12日、13日に開催することを発表し、同時に公式サイトも開設された。NOKKOは再結成に踏み切った理由について「封印していたレベッカの楽曲群を改めて聴いて新鮮さを感じた」ためであると語っている。ベースの'''高橋教之'''は音楽活動を止めており、会社員としての休暇を使っての参加となる。11月29日には、さいたまスーパーアリーナでの追加公演も決定。同年12月31日には「第66回[[NHK紅白歌合戦]]」への初出場を果たした。<br/> | ||
2017年、初春より'''UNIVERSAL MUSIC'''と契約を結び、2017年7月から9月にかけて、およそ28年半振りとなる全国ツアー「REBECCA LIVE TOUR | 2017年、初春より'''UNIVERSAL MUSIC'''と契約を結び、2017年7月から9月にかけて、およそ28年半振りとなる全国ツアー「REBECCA LIVE TOUR 2017」を開催した。同ツアーの日本武道館公演の模様はDVD/Blu-rayとして発売された。また、同年11月1日には17年ぶり、2002年にリリースされた『[[レベッカ|Raspberry Dream/Tatoo Girl]]』はカウントされない。オリジナルシングル『恋に堕ちたら』をリリース。 | ||
==影響== | ==影響== | ||
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==出典・参考== | ==出典・参考== | ||
Wikipedia「レベッカ」 | Wikipedia「レベッカ」<br/> | ||
Goldpedia「レベッカ」 | |||
==脚注・外部リンク== | ==脚注・外部リンク== | ||