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=== ブレイクから解散へ ===
=== ブレイクから解散へ ===
1985年4月、新体制での3枚目のシングル「[[レベッカ|ラブ イズ Cash]]」が初めてチャートインし、3枚目のアルバム『WILD & HONEY』は[[オリコンチャート|オリコン]]6位を記録。6月には日本青年館でワンマンコンサートを行う。10月放送開始のテレビドラマ『ハーフポテトな俺たち』でレベッカの楽曲が使用され、OP・EDテーマを収録したシングル「[[レベッカ|フレンズ/ガールズ ブラボー!]]」がオリコン3位(30万枚)の大ヒット。1985年11月発売の4枚目のオリジナルアルバム『'''[[レベッカ|REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜]]'''』がオリコン1位を獲得し、当時の国内ロックアルバムとしては異例のミリオンセラー(累計130万枚超え)を記録する。<br/><br/>
1985年4月、新体制での3枚目のシングル「[[レベッカ|ラブ イズ Cash]]」が初めてチャートインし、3枚目のアルバム『WILD & HONEY』は[[オリコンチャート|オリコン]]6位を記録。6月には日本青年館でワンマンコンサートを行う。10月放送開始のテレビドラマ『ハーフポテトな俺たち』でレベッカの楽曲が使用され、OP・EDテーマを収録したシングル「[[レベッカ|フレンズ/ガールズ ブラボー!]]」がオリコン3位(30万枚)の大ヒット。1985年11月発売の4枚目のオリジナルアルバム『'''[[レベッカ|REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜]]'''』がオリコン1位を獲得し、当時の国内ロックアルバムとしては異例のミリオンセラー(累計130万枚超え)を記録する。<br/><br/>
その後も「RASPBERRY DREAM」「MONOTONE BOY」「[[レベッカ|MOON]]」などヒットシングルを連発し、『REBECCA IV』以降のアルバムはすべて80万枚以上のセールスを達成。リミックスアルバムでもチャート1位を獲得した。1988年には6枚目のオリジナルアルバム『[[レベッカ|Poison]]』で、第2回日本ゴールドディスク大賞・アーティスト・オブ・ザ・イヤー(邦楽部門)を受賞した<ref>[http://www.golddisc.jp/award/02/index.html 第2回日本ゴールドディスク大賞 / Gold Disc Hall of Fame 2nd]</ref>。ライブも日本武道館6days(1987年1-2月)、横須賀港での5万人野外ライブ『REBECCA FROM THE FAR EAST』(1987年8月)、コンサートツアー『BLOND SAURUS』の東京ドーム公演(1989年7月)など大規模イベントを成功させた。しかし、超多忙なスケジュールが創作に影響するようになり、一度区切りをつけるべきという決断に至り<ref>[https://www.asahi.com/articles/ASH4M6J96H4MUEHF00B.html |newspaper=朝日新聞デジタル |publisher= |date=2015-04-21 |accessdate=2019-01-03]</ref>、1990年1月に行われたコンサートツアー『BLOND SAURUSの逆襲』の日本武道館公演を最後に活動を休止。翌年の1991年2月14日に解散した。<br/><br/>
その後も「RASPBERRY DREAM」「MONOTONE BOY」「[[レベッカ|MOON]]」などヒットシングルを連発し、『REBECCA IV』以降のアルバムはすべて80万枚以上のセールスを達成。リミックスアルバムでもチャート1位を獲得した。1988年には6枚目のオリジナルアルバム『[[レベッカ|Poison]]』で、第2回日本ゴールドディスク大賞・アーティスト・オブ・ザ・イヤー(邦楽部門)を受賞した。ライブも日本武道館6days(1987年1-2月)、横須賀港での5万人野外ライブ『REBECCA FROM THE FAR EAST』(1987年8月)、コンサートツアー『BLOND SAURUS』の東京ドーム公演(1989年7月)など大規模イベントを成功させた。しかし、超多忙なスケジュールが創作に影響するようになり、一度区切りをつけるべきという決断に至り、1990年1月に行われたコンサートツアー『BLOND SAURUSの逆襲』の日本武道館公演を最後に活動を休止。翌年の1991年2月14日に解散した。<br/><br/>
レベッカの解散後、高橋、小田原、サポートギターの是永巧一の3人と宮原学、彼のプロデューサー&バックバンドの柴田俊文の5人で結成したバンド「BABY'S BREATH」は、当初「宮原学&レベッカ・ユニット」と名乗っていた。
レベッカの解散後、高橋、小田原、サポートギターの是永巧一の3人と宮原学、彼のプロデューサー&バックバンドの柴田俊文の5人で結成したバンド「BABY'S BREATH」は、当初「宮原学&レベッカ・ユニット」と名乗っていた。