「朝日杯フューチュリティステークス」の版間の差分

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== 歴史 ==
== 歴史 ==
{{Double image aside|right|Nakamura masayuki.jpg|150|Asahi-hai.jpg|240|中村正行(1939年)|「使い回し」で製作された優勝カップ}}
本レース創設の発起人となったのは、馬主会の重鎮であった[[中村勝五郎 (2代目)|2代目中村勝五郎]]の息子・中村正行([[中村勝五郎 (3代目)|3代目中村勝五郎]])である。中村は当時騒擾事件が頻発していた競馬のイメージ改善を図るため、競馬ファンであった朝日新聞編集局長の[[信夫韓一郎]]に社賞の提供を持ちかけた。当初は最高格レースである[[東京優駿|東京優駿(日本ダービー)]]への提供を企図していたが、当時の[[国営競馬]](農林省競馬部)が一社のみに許可を出すことを良しとしなかったため、代わりに3歳馬のチャンピオン決定戦という性格を持つ特別レースを新設することになった。朝日新聞記者で当時父親が同社企画部長を務めていた遠山彰によれば、当時は社内でも競馬を社会悪と見なす意見が多く、この件が諮られた部長会では激論が交わされたといい、遠山は「父は当然賛成に回ったが、反対派を説き伏せ、決断を下したのは、役員でもあった信夫だったろう」と推測している。「新聞社の名がつくレースならば競馬の社会的信用も高められる」との考えから、レース名は「朝日盃三歳ステークス」とされた。
本レース創設の発起人となったのは、馬主会の重鎮であった[[中村勝五郎 (2代目)|2代目中村勝五郎]]の息子・中村正行([[中村勝五郎 (3代目)|3代目中村勝五郎]])である。中村は当時騒擾事件が頻発していた競馬のイメージ改善を図るため、競馬ファンであった朝日新聞編集局長の[[信夫韓一郎]]に社賞の提供を持ちかけた。当初は最高格レースである[[東京優駿|東京優駿(日本ダービー)]]への提供を企図していたが、当時の[[国営競馬]](農林省競馬部)が一社のみに許可を出すことを良しとしなかったため、代わりに3歳馬のチャンピオン決定戦という性格を持つ特別レースを新設することになった。朝日新聞記者で当時父親が同社企画部長を務めていた遠山彰によれば、当時は社内でも競馬を社会悪と見なす意見が多く、この件が諮られた部長会では激論が交わされたといい、遠山は「父は当然賛成に回ったが、反対派を説き伏せ、決断を下したのは、役員でもあった信夫だったろう」と推測している。「新聞社の名がつくレースならば競馬の社会的信用も高められる」との考えから、レース名は「朝日盃三歳ステークス」とされた。


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なお、[[第二次世界大戦]]終結より間もない物資不足の時代であったことから優勝カップは中村が戦前に獲得していた「アラブ大ハンデ」の優勝カップを彫金師の信田洋が仕立て直す形で製作された。このカップは各年度優勝馬主の持ち回りという形で提供されている。また、副賞には中村家の食客であった[[東山魁夷]]の[[キャンバス#主な寸法|12号]]大の絵がたびたび提供された。
なお、[[第二次世界大戦]]終結より間もない物資不足の時代であったことから優勝カップは中村が戦前に獲得していた「アラブ大ハンデ」の優勝カップを彫金師の信田洋が仕立て直す形で製作された。このカップは各年度優勝馬主の持ち回りという形で提供されている。また、副賞には中村家の食客であった[[東山魁夷]]の[[キャンバス#主な寸法|12号]]大の絵がたびたび提供された。
=== 年表 ===
=== 年表 ===
* 1949年 - 3歳馬限定のレース「'''朝日盃3歳ステークス'''」の名称で創設、中山競馬場の芝1100mで施行。
* [[1949年]] - 3歳馬限定のレース「'''朝日盃3歳ステークス'''」の名称で創設、中山競馬場の芝1100mで施行。
* 1953年 - [[騎手]]の[[谷岡敏行]]が死亡する事故が発生。
* [[1953年]] - [[騎手]]の[[谷岡敏行]]が死亡する事故が発生。
* 1959年 - 施行距離を芝1200mに変更。
* [[1959年]] - 施行距離を芝1200mに変更。
* 1962年 - 施行距離を芝1600mに変更。以後、この施行距離で定着。
* [[1962年]] - 施行距離を芝1600mに変更。以後、この施行距離で定着。
* 1970年 - レース名を「'''朝日杯3歳ステークス'''」に変更。
* [[1970年]] - レース名を「'''朝日杯3歳ステークス'''」に変更。
* 1971年 - 混合レースに指定され、外国産馬が出走可能になる。
* [[1971年]] - 混合レースに指定され、外国産馬が出走可能になる。
* 1984年 - [[グレード制]]施行によりGIに格付け。
* [[1984年]] - [[グレード制]]施行によりGIに格付け。
* 1991年 - レース条件を「3歳牡馬・騸馬」に変更。
* [[1991年]] - レース条件を「3歳牡馬・騸馬」に変更。
* 1995年 - 特別指定交流レースに指定され、地方競馬所属馬が出走可能になる。
* [[1995年]] - 特別指定交流レースに指定され、地方競馬所属馬が出走可能になる。
* 2001年
* [[2001年]]
** [[馬齢]]表記を国際基準へ変更したのに伴い、レース条件を「2歳牡馬・騸馬」に変更。
** [[馬齢]]表記を国際基準へ変更したのに伴い、レース条件を「2歳牡馬・騸馬」に変更。
** 名称を「'''朝日杯フューチュリティステークス'''」に変更。
** 名称を「'''朝日杯フューチュリティステークス'''」に変更。
* 2004年 - レース条件を「2歳牡馬・牝馬」に変更。
* [[2004年]] - レース条件を「2歳牡馬・牝馬」に変更。
* 2007年 - 日本のパートI国昇格に伴い、格付表記をJpnIに変更。
* [[2007年]] - 日本のパートI国昇格に伴い、格付表記をJpnIに変更。
* 2010年
* [[2010年]]
** [[国際レース]]に指定され、外国調教馬が出走可能になる。
** [[国際レース]]に指定され、外国調教馬が出走可能になる。
** 格付表記をGI(国際格付)に変更。
** 格付表記をGI(国際格付)に変更。
* 2014年 - 施行場を阪神競馬場に変更。
* [[2014年]] - 施行場を阪神競馬場に変更。


=== 歴代優勝馬 ===
=== 歴代優勝馬 ===
優勝馬の馬齢は、2000年以前も現行表記に揃えている。
優勝馬の馬齢は、2000年以前も現行表記に揃えている。
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!回数!!施行日!!優勝馬!!性齢!!タイム!!優勝騎手!!管理調教師!!馬主
!回数!!施行日!!優勝馬!!性齢!!タイム!!優勝騎手!!管理調教師!!馬主